【つぶやき】慣れは怖いのか寂しいのか
こんばんは、今日は大きなお仕事を終えて、少しほっとしています。
ほっとした反面もっとこうしておけば良かったと思うこともぼろぼろ溢れてきて、なかなか心休まっていない!明日と明後日は、心も体も休息日にするのです。毎週末そうなんですけども。
たくさんの人数を動かすとき、私は一人では動けないけれど、自分なりのポジションがあると思っています。多くの人のポジショニングが上手くいったときの滑らかに物事が動く感覚は、本当に鳥肌ものですね。
少しでも、全国から来たたくさんのお客さんが楽しくなって、且つ会社の数字にも繋がる何かになるといいなあと思う!
今日、お仕事の本番で緊張して朝早く会場であるお台場に向かっていて、ゆりかもめに乗って、私は当然通勤時にゆりかもめに乗ることなんてほとんどないから正直わくわくするし、キョロキョロしてしまうし、周りの景色だって見えるところに立ちたいと本気で思ってポジションを探しました必死に(ただし日の当たらないところね)。
でも、大半の人が、景色なんて見ていないし眠そうだしずっとスマホを見ているし辛そうな顔をしている。
まあ、それが普通なのでしょうね。誰だって日常であれば慣れてしまうし、景色や環境にいちいち心動かされなくなってしまう。
頑張って手にした今の環境を、なぜか忘れてしまって、愚痴ばっかり言う人になってしまったりしていませんか?私の周りにも、少なからずいると思います。親しくしてくれている人たちにはあまりいませんが。でも、自分だって愚痴や弱音はたまには言ってしまうし、どうして最初の感動を覚えていられないんだろう。
慣れてしまってつまらなそうにしている人を外から見ると、寂しいなあと思うのです。もちろん自分に対しても思う。
でも、きっと人間なので、どうしたって慣れていってしまうんですよね。5年後にそんな風には考えていないかもしれないし、慣れること・日常こそが幸せなのだと言っているかもしれないけれど、少なくとも今の自分はまだそこまで思えていなくて。
環境に自分がとけ込んでいく感覚を、どれだけ非日常性を保ちながら楽しめるか覚えていられるか、今の私にとっての幸せのカギのような気がしました。
だから、ちょっとずつ、自分が楽しめるフィールドをたくさん用意してあげたい。
そうしたら、色んな気持ちを新鮮にパッキングしておけるような気がしています。
さて、それはどうしたら出来るのか。
色々な会社で働くのか、色々な友人と出会うのか、色々な本を読むのか、色々な映画を見るのか、何でも出会えるものにたくさん出会うことで、あの時の気持ちを逆にパッキングしておけるんじゃないかと。
でも、それこそ少し踏み出せば日常でできること!
何かもう、自分が楽しめるフィールドをたくさん用意するということは、日常の積み重ねでできるのですよねきっと。何かそれなら出来そうな気がするし、頑張ってみようかなって思う。
今日は全部自分への言い聞かせかもしれないなあ。
一杯の乾杯ワインでフラフラするけど、今日は熟睡します♡
それでは、おやすみなさい♡
instagram elica1114