【つぶやき】ピカソの妻フランソワーズ・ジローについて
遅めにいただいた夏休みですが、11連休も昨日で終わったため、今日から社会復帰でした。
なかなか一日パソコンの前に座っていることって辛かったのだと思い出しました。
気持ちが辛いのではなく、単純に目が疲れすぎる。そりゃそうだよなあ、いい加減にメガネ買わなくては。
力をもらえる一人として、ピカソの妻の一人、フランソワーズ・ジローにとても魅力を感じています。
1944年、人々が新たな時代に向かって生きる中で、60歳近くのピカソの絵も大きな変化を求めていました。
画家の多くがそうであるように、時を重ねる毎に絵のタッチは変わっていきます。
全体的に青の画材で描かれた「青の時代」、その後「ばらの時代」等を経てどんどん変わっていきますね。
その当時出会ったのが、まだ画学生であった21歳のフランソワーズ・ジローでした。
ピカソは彼女をモデルにした時、『人間は誰でも動物に似ているものだが、君は違う』と言い、彼女を植物に例えました。
そして、描いたのが「花の女」。彼女をを一輪の花として描いたこの作品は、優しい線と穏やかな色彩が特徴的です。
ねえ、聞きました?
自分自身を「一輪の花」として描いてもらえるってなんて素敵なのかー!!
本当に女性冥利につきますよね。。。すごい。。。
ご存知の通り、妻や愛人をとっかえひっかえだった旦那だったので、複雑な関係の下で1男1女を生んだフランソワーズは7年後、自らピカソのもと去りました。
別れの際のフランソワーズとピカソのやり取りはこんな感じ。
フランソワーズ「あなたのような歴史的記念碑とは、これ以上生活をともにしたくない」
ピカソ「わたしの世界からはみ出してみろ。砂漠へ行くぞ」
フランソワーズ「だったら、そこで生きてみせる」
その後も、フランソワーズ自身、芸術の第一線で活躍しています。
つまり、いつの時代も自分を見失わず、意思を持って生きている女性は本当に素敵だ!と私は思うということ。
別に、男性に対して強くある必要は全くないし、究極そこに性別は関係ないのかもしれないとすら思います(むしろ個人的に、男性の優しさに感謝して敬意を抱いて生きています本当ですごめんなさい)。
きっと明確になりたい自分の姿を描いていれば、あれ?と思ったときに通常の思考に立ち返れるのでしょう。
本当に何かに追い込まれたとき、その状況が全てだと思い込んで自分の可能性にふたをするようなことはやめて欲しい。
でも、いっぱいいっぱいになってぎゃあああああってなった時、結局頼れるのって自分自身な気がするんですよね。精神的に支えになってくれる人たちは、家族であり友人でありたくさんいると思います。
でも、結局そういう人が何を言っても自分で気づかないと何も変われない気がします。洗濯機の中でずーっとぐるぐる回っている状態。そこからひょいっと出してもらうことを臨むよりは、誰かが言った意見をたくさん集約・咀嚼して、自分の結論を出さないと、納得もできないし行動にも起こせない。
だから、たくさん意見を求めるのは良いことかもしれないけど、それを踏まえてたくさん考えることが最終的に大切な気がする。
まあ、私はまだまだ発展途上なので、色んな人に色んな話をして、意見をもらいにいきますよ!!たくさん聞いた後にたくさん考えるので、引き続きよろしくお願いします!!(あれ)
おやすみなさい♡
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